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---------- 第十章「フィルムとカメラの融合」 ----------

 カメラの話からはなれて、フィルムの話を少しします。 ライカの発売当初、現代のような35ミリ判のフィルムはありませんでした。この当時に何を使っていたというと映画用のフィルムを切って使いました。 又、現代のように粒子の細かいフィルムも無く、その性能を引き出す現像液もありませんでした。粒子の細かいフィルムはあることはありましたが、感度が低く(現在の感度換算でISO8前後)全ての色に感じる性質のあるフィルムも、ありませんでした。(色に感じなければネガ上ではなにも写らない)


各社現行リバーサルフィルム


ライカ純正パトローネ&スプール

アグファをはじめとするヨーロッパのフィルムメーカーは、ライカの人気が高まると、36枚撮りの長さにフィルムを切って売り出し始め、長いフィルムを切らなくて済むようになり、入手がしやすくなります。ただし、今のようにパトローネには入っておらず、紙に包まれ3本缶入りでした。 当時のカメラマンはどうしていたかというと、自分でマガジン(再利用できるなっているパトローネ)に詰め替えました。(ライカ社は、マガジン2本付きで売っていた時期があります。)
 現像液も、多種の処方が発表されますが、帯に短し襷に長し(粒子は細かいが時間がかかったり、感度が落ちたり等々)でしたが、映画がサイレントからトーキーになるに従い、音声の入る部分の現像が今までの処方ではうまく行かないことが判り、コダックがある処方を発表します。 D−76といわれる処方で、感度低下もなく、粒子も大きくならず、それまでの処方がいささか見劣りさえするほどです。これにより他の処方は廃れ始め、各フィルムメーカーともD−76処理を基準に、独自の処方を開発し現在でさえ標準現像液といわれます。


コダックD-76現像液


コダクロームフィルム


 ライカ用のカラーフィルムは、1935年以降に現在のようなフィルムが生まれます。 世界初のカラースライドフィルムは、コダック社のコダクロームですが、開発には2人の音楽家が関係しています。彼らは、自分たちのアイデアを元にコツコツと開発を行い、コダック社に売り込みます。アイデアに感心したコダックは彼らを引き入れ総力で開発し、実を結びます。


 アグファは少し遅れて発売し小西六(現コニカミノルタ)は戦争直前に発売しますが、フジは間に合わず戦後の発売になります。 イタリアでもフェラニアカラーが発売されます。これ以降世界各国でカラーフィルムが発売されますが、必ずこれらの国の技術にたどり着きます。東京オリンピック以降、それまで国産2社は、カラーフィルムは輸出しておらず処理も専用のため、世界シェアの大多数を占めていたコダック処理で現像が出来ないことがネックになっていましたが、カラーネガからコダックコンパチの処理を開始しました。今ではアメリカ市場では他社より、フジフィルムのほうがシェアを持ってきています。

次回に続く!


各フィルムメーカー
 
 
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