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ドイツでは、旧西ドイツ側のライカのあるウェッツラーは空襲も受けずに、戦後すぐに生産を開始しました。ライカの名声が、ウェッツラーを空襲から救ったのかもしれませんね。しかし、旧東ドイツ側ドレスデンのツァイスイコンは、有名なドレスデン空襲で壊滅的な打撃を受けたカールツァイスイエナは、戦後米軍にエンジニアを引き抜かれ、カールツァイスオーバーコッヘン(現カールツァイス)と分離し、ソ連軍の占領下となった東側のツァイスは苦難の道を歩みます。コンタックスは、キエフとして旧ソ連で生産されます。西側で生産されたコンタックスは、1950年代末期に終焉をむかえ、ツァイスのカメラ生産は、1972年で終わります。その後、ヤシカ(現京セラ)との共同開発一眼レフ(コンタックスRTS)として名前は生産再開しますが、ドイツツァイス製のカメラは生産再開はしませんでした。一方でライカも、会社経営が苦難の道を歩みますが、エルンストライツ社からライカ社と名前が変わり、今なお生産をしています。小さな町工場からはじまったライカが、財団ツァイスを超える存在になったことは言うまでもありません。
次回(第四章)に続く!
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ヤシカ(現京セラ)とツァイスの共同開発 コンタックスRTSとレンズ群

旧ソ連カメラ/キエフ(年式不明)
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